この公園は佐賀県の賢人、大木喬任(おおきたかとう)の誕生した場所とされています。
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大木喬任とは?
この像は2018年に行われた明治維新150年の記念イベント「肥前さが幕末維新博覧会」のときに設置された、佐賀を代表する偉人の等身大モニュメントです。
佐賀藩士だった父親のもと佐賀城下赤松町に生まれましたが、11歳の時に父親を亡くし、以降は母の手一つで育てられました。
大木喬任の生家跡は大木公園となっていて、2つの大きな記念碑は彼の偉大さを物語っています。
15歳から藩校「弘道館」の寮生となり、副島種巨、江藤新平、大隈重信などのちに明治政府で活躍する人たちと親交を深めた大木喬任。
19歳の時には枝吉神陽により結成された「義祭同盟」にも参加し、志士としても活動していました。
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「義祭同盟」にも参加
龍造寺八幡神社の楠神社には大木喬任らが参加した「義祭同盟」の碑が残っています。
「義祭同盟」とは、弘道館の教諭であり、国学者でもある枝吉神陽によって結成された勤王結社です。
毎年旧暦の5月25日に楠公父子像を祀る崇敬のつどいという名目で集まり、実際は天下国家の行く末を語り合っていました。
連盟帳によると副島種巨、島義勇、江藤新平、大隈重信なども参加し、大木喬任も初期創立メンバーの一人として名前が残っています。
はじめての民間出身の東京府知事
明治元年に明治新政府に入ってからは、江藤新平とともに都を京都から江戸に移すことを建白し、名前を「東京」と改め、民間出身としては最初の東京府知事(今の東京都知事)となります。
府知事時代には各地に「救育所」を設けて貧困に苦しんでいる人を収容し、彼らが自活できるよう職業教育を行いました。
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教育制度の基礎を築いた初代の文部大臣
その後は民部卿や文部卿、司法卿を歴任し、明治初期のわが国の制度づくりを実施。
特に、明治4年には初代の文部卿(今の文部科学大臣)となってからは学制・学校令・教育勅語などの教育体制の整備に尽力しました。
それまで一部の子供しか行けなった学校を誰でも通えるようにし、全国に5万以上の小学校を置くなど、今日に続く日本の近代的な教育の確立をしたのが大木喬任です。
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まとめ
いかがでしたか?大木喬任はあまり知られていませんが、今日に続く日本の教育制度の基本をつくったとってもエライ人です。
それまでの江戸時代の寺子屋のような儒学や漢学ばかりを学ぶのはやめ、学校はあくまで知能や芸術など育成する場として位置づけ、国民はすべて子供を学校に通わせるための小学校の設置や、女性の就学、商業教育に重点をおくことなど、新しい時代の学校の仕組みをつくったのが大木喬任です。
ご紹介したスポット以外にも、地元の佐賀には大木がよく遊びに行っていた大隈重信の生家や、共に学びを深めた弘道館の跡地など、大木が歩んだ足跡が数多く残っています。
その時代に思いを馳せながら、足跡を辿ってみてはいかがでしょうか?
名称: 大木喬任 誕生地(大木公園)おおきたかとうたんじょうち おおきこうえん
住所: 佐賀県佐賀市水ヶ江3丁目7-17
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