今回はそんな長崎のまちに今も残るユニークな坂シリーズの第1弾です。
ヘイフリ坂(幣振坂)
場所は晧台寺と大音寺の間にある坂道です。
こちらはオナラがでる坂ではなく、御幣(ごへい)という旗を振ったことが由来です。
江戸時代の寛永15年(1638年)、諏訪神社の大鳥居をつくるために、風頭山から石材が切り出されました。
この坂から下の麓(ふもと)まで2000人の人夫で運ぶとき、宰領が御幣(ごへい)を振って指揮をしたことから「幣振り坂」と呼ばれています。
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ケンカ坂(天満坂・長崎喧嘩騒動発端の地)
場所は、長崎地方検察庁と法務局の間にあります。
こちらは 江戸時代に発生した、深堀喧嘩騒動(ふかぼりけんかそうどう)のきっかけになった坂です。
元禄13年(1700年)12月の雪がふる寒い日に、ある深堀藩士がこの坂を歩いていて、はねた泥がたまたま町年寄にかかって口論となったのがトラブルのはじまりです。
その後、町年寄(高木家)の人たちは深堀藩の屋敷に殴り込みをかけて乱暴が行われることに。、
翌日には深堀藩士たちが仕返しに高木邸に討ち入って、筆頭町年寄だった彦右衛門を殺害したのが深堀事件です。
これは忠臣蔵で有名な討ち入りがおきる1年前のことで、赤穂浪士はこの仇討ちが手本となったとされています。
そんな「長崎版の忠臣蔵」と呼ばれる喧嘩さわぎの発端となったのがこちらの坂です。
なお坂にはかつて教会がありましたが、お寺(大音寺)や神社(天満宮)になったため「大音寺坂」や「天満坂」とも呼ばれています。
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本当のオランダ坂(丸山オランダ坂)
最後にやってきたのは「本当のオランダ坂」と呼ばれるスポットです。
場所は、路面電車の発着点となっている「正覚寺電停」近くにある崇福寺入口のバス停から、丸山へとのぼる細い坂道です。
丸山は江戸の吉原、京都の島原とともに日本の三大花街だったことで有名です。
日本が鎖国のとき、商人はオランダ本国から女性を連れてくることが禁じられ、オランダ屋敷があった出島にも(厳しい情報統制で)日本の女性は出入り禁止でした。
そんな中で唯一、出島への出入りを許されたのが丸山の遊女です。
遊女がオランダ屋敷に向かう際、あまり目立たないこの坂を通って川に出て、そこから小舟に乗って出島に通ったことから「オランダ坂」と呼ばれています。
こちらは東山手のオランダ坂よりも歴史が古く、江戸時代から続く坂道として、「本当のオランダ坂」や「丸山オランダ坂」とも呼ばれています。
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まとめ
いかがでしたか?
急な斜面に建つ家々をつなぐ坂道だらけのイメージが強い長崎。
そんな迷路のような坂のまち長崎を歩きながら、個性あふれるネーミングのユニークな坂めぐりはいかがでしょうか。
名称: ヘイフリ坂(幣振坂)
住所: 長崎県長崎市鍛冶屋町1
駐車場: 付近の有料駐車場を利用
名称: ケンカ坂(天満坂・長崎喧嘩騒動発端の地)
住所: 長崎県長崎市賑町2-1
駐車場: 付近の有料駐車場を利用
名称: 本当のオランダ坂(丸山オランダ坂)
住所: 長崎県長崎市丸山町付近
駐車場: 付近の有料駐車場を利用
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