今回、ご紹介するのは佐賀出身の偉人、黒田チカさんです。
こちらは佐賀市のメインストリートにある黒田チカさんの像です。
この像は2018年に行われた明治維新150年の記念イベント「肥前さが幕末維新博覧会」のときに設置された、佐賀を代表する偉人の等身大モニュメントです。
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黒田チカさんとは?
黒田チカさんは明治17年(1884年)に佐賀に生まれました。
佐賀師範学校を卒業したのち、当時の女子にとって最高学府だった東京の女子高等師範学校の理科(お茶の水女子大学の前身)に進学。
師範学校を卒業するときは化学が一番好きになり、もっと勉強したいとの気持ちがありましたが、当時は女性が大学に進学できず、そもそも女性が受験すらできない状況が続いていました。
そののち7年間は女高師の助教授をつとめたのち、ようやく女子にも門戸が開かれた東北帝国大学の理科大学化学科を受験し、みごと合格となったのです。
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日本で女子大学生となった1人
黒田チカさんは、日本で最初の女性化学者であり、日本ではじめて大学に入学した女子大生3名中の1人です。
今から100年以上前の1913年の8月16日、東北帝国大学(現・東北大学)が女子受験生3人の合格を発表しました。
なお、8月16日は日本で初めて女子大生が生まれた日として「女子大生の日」とされています。
そんな元祖・女子大生のひとりが黒田チカさんという、後に日本初の女性理学博士になった方です。
現在は大学(学部)への女性の進学率は50%を超え、女子大生というキーワードはすっかり当たり前のものになりましたが、つい100年前までは女子大生はゼロ。
そのような時代に優秀な女性研究者として、新しい道を切り開いたのが黒田チカさんです。
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国内2番目の女性理学博士に
大学に入ってからは有機化学を専門とする真島教授のもと、天然色素の構造について研究をスタート。
大正5年(1916年)に東北帝国大学の化学科を卒業し、日本女性初の理学士となりました。
また、2年後には「シニコン」と命名した色素の構造について世界に先駆けて論文を発表。
1921年にはイギリスのオックスフォード大学に留学したのち、帰国後は、紅花の色素に関する研究などで業績を上げました。
さらに、昭和24年にお茶の水女子大学が開校すると、同大学の理学部教授となっています。
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優れた学生を後押しする「黒田チカ賞」
出身校である東北大学の理学部は、1999年に優れた研究成果を挙げた女子大学院生に対する賞として、「黒田チカ賞」を設立し、優秀な学生さんの後押しをしています。
黒田チカさんは昭和43年、84歳で永眠し、お墓は佐賀市伊勢町の大運寺に残っています。
まとめ
いかがでしたか?今回は日本初の女子大学生で、国内ではじめての女性化学者、黒田チカさんについてご紹介しました。
※上の写真は、黒田チカさんが眠る大運寺です。
当時の大学は旧制高校を卒業した男子学生のための学校という位置づけで、女性が大学に入学することはまったく考えられていなかったため、黒田チカさんが大学に合格したのは、まさに画期的な出来事でした。
明治、大正、昭和と、わが国の女性の社会的地位も権利もほとんど認められなかった時代にありながら、ジェンダー平等や男女の別を越えて、その後に続く化学を志す人たちのパイオニア的な存在となった偉大な方です。
名称: 大運寺 だいうんじ
住所: 佐賀県佐賀市伊勢町8-8
電話: 0952-22-0868
駐車場: 無料駐車場あり
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