繊細で情感豊かな美人画で知られ、黒田清輝、藤島武二らとともに日本の洋画界の草創期をリードした偉大な方です。
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岡田三郎助とは?
佐賀出身の画家で、出身地にある佐賀県立美術館では、岡田三郎助の作品を定期的に入れ替えながら常設展示をしています。
明治後期から昭和初期にかけて活躍した近代洋画家として有名な方で、横山大観などとともに日本初の文化勲章にも選ばれました。
岡田三郎助と言えば美人画が特に有名で、会場には美しい女性を描いた数多くの作品が展示されています。
5年のあいだフランスに留学して洋画の技法を学び、一方で日本美術の良さもあらためて認識。
帰国した後は洋画による最先端の技法を使って着物姿の日本の女性たちを描くなど、洋画でありながらも日本画のような雰囲気を漂わせる独特の画法を確立し、独自の「美人画」を生み出しました。
明治から大正、昭和にかけて激動の時代を生きる女性を題材に、西洋の絵画技法を通して日本を再発見していった岡田の絵は、その後の人々の暮らしに大きな影響を与えていくことになります。
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三越の宣伝ポスターで一躍、全国区に
国内最大の呉服店だった三越が明治時代の後期、陳列販売を主力とするデパートへの大胆なビジネスモデルに転換します。
その宣伝を依頼されたのが岡田三郎助。
大手新聞社が企画した日本一の美人を写真で決めるコンテストで、参加者を募集するための宣伝ポスターを書いて欲しいと頼まれたのです。
依頼の中身は、着物の新たな魅力を打ち出すための宣伝ポスターで、岡田はこの絵にこれからの時代を生きる理想の女性のイメージを投影しました。
女性のライフスタイルを変えた画家
日本近代洋画の代表作とも呼ばれる「あやめの衣」など、岡田が描く作品は目鼻立ちがしっかりしていて、彫りが深く西洋風の女性像は多くの女性の心をとらえました。
流行の髪型や装飾品で着飾った新しい女性のイメージ像により、伝統的な枠組みにとらわれず自由に生きようとする新たな女性の生き方を表現し、活動的な女性のライフスタイルに変えることにつながったと言われています。
佐賀に移築された岡田のアトリエ
佐賀の県立美術館の敷地内には、岡田三郎助が制作活動の拠点としていた東京のアトリエが移築され、一般公開されています。
明治41年(1908年)ごろ、自宅のとなりに建てられた木造の洋風建築で、天窓から差し込むやわらかな光がふりそそぐ作業場など、七十歳で亡くなる直前までこのアトリエで絵を描き続けていました。
大正時代にはアトリエのとなりに岡田が主催する画塾の「女子洋画研究所」を創設。
今の東京藝術大学や女子美術大学で指導するなど、後輩の育成に力を注ぎました。
彼の教えを受けた芸術家たちは、その後それぞれの分野で活躍しています。
そんな芸術家たちが集まったアトリエは、岡田の没後、親交が深かった洋画家のかたに受け継がれ、恵比寿ガーデンプレイスなどの商業施設が集まっている都心にありながら、取り壊されることなく100年以上にわたって残され大切に守られてきました。
そんな東京にあった岡田三郎助のアトリエは、現在は出身地である佐賀の県立博物館のとなりに移築されています。
明治41年(1908年)に建てられた木造洋風建築で、今も100年前の面影を残しています。
アトリエは画室と応接室、大正期に増築された女子洋画研究所の3つの空間があり、岡田三郎助が使った調度類が復原され、当時の雰囲気を感じることができます。
アトリエ
女子洋画研究所
窓は建築した当時を復元したすりガラスで、カーテンはありません。
明治から大正、昭和と移り変わる時代の中、西洋の美術を日本の風土に定着させようとした彼らの姿が浮かび上がってくるかのようです。
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まとめ
いかがでしたか?女性のライフスタイルさえ変えたと言われる洋画家の岡田三郎助。
そんな岡田が制作の拠点としていたかつてのアトリエは移築・復元され、国内最古のアトリエや作品の数々は佐賀で見られます。
名称: 岡田三郎助アトリエ おかださぶろうすけあとりえ
住所: 佐賀県佐賀市城内1丁目15
駐車場: 無料駐車場あり
岡田三郎助アトリエのページ
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