今回ご紹介するのは、幕末のころ佐賀の武雄で活躍した鍋島茂義(なべしましげよし)公です。
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かつての武雄領主だったエライ方
鍋島茂義公(1800~1862)は江戸時代の後期、武雄の第28代領主だったエライ方です。
江戸時代の武雄領は佐賀鍋島藩の請役(家老)を務め、領内では大幅な自治を許されていました。
中でも第28代領主だった鍋島茂義公は、23歳の若さで佐賀藩の請役(筆頭家老)に異例の抜擢をされたほどの俊才でした。
文化会館はかつて鍋島家の別邸跡があったところで、左手に洋学書を持ち、指示する姿がかっこいい。
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強いリーダーシップで西洋の技術を導入
茂義公は天保年間の初めごろ(1830年頃)、長崎の警備でオランダ船を見学したときに西洋の進んだ技術にカルチャーショックを受け、積極的な蘭学や洋学の導入を決意しました。
その一つとして大砲の威力にいち早く着目し、当時の西洋砲術の第一人者だった高島秋帆から西洋砲術について学んだり、領内で砲術の訓練や大砲の鋳造を実施。
1824年にフランスで発射実験が行われた新型カノン砲に関する情報をいち早く入手するなど、当時の最新技術を導入する強い意欲と、実行力がありました。
さらに武雄鍋島家では佐賀本藩にさきがけて、砲術以外にも実に多くの分野にチャレンジ。
種痘の実施、ガラスの製作、写真術の導入、蒸気船製造など さまざまなプロジェクトに取り組んでいます。
鍋島茂義公が収集した2,224点もの洋学関係の資料は、当時の西洋の科学技術の導入についての貴重な歴史資料として重要文化財に指定されています。
佐賀藩を変えるパイオニア的な存在
茂義公は名君として知られる佐賀藩10代藩主・鍋島直正公の義兄だったことから、直正公に大きな影響を与えたメンター的な存在でした。
※写真は佐賀城本丸歴史記念館前にある像です。
武雄で完成した青銅製の大砲は佐賀藩主、鍋島直正公の前で試射され、見事に成功。
試射を見た直正公は佐賀本藩にも西洋砲術を本格的に取り入れることを決め、佐賀藩全体で近代化にすすむきっかけとなりました。
※写真は佐嘉神社に残る大砲のレプリカです。
つまり明治維新や日本が近代化するためには、西洋の技術や科学に詳しい佐賀鍋島藩が大きく貢献しましたが、そのきっかけをつくったパイオニアが武雄鍋島藩なのです。
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まとめ
いかがでしたか?かつて武雄藩の藩主だった鍋島茂義公は先見の明で佐賀を近代化に導いたエライ人です。
そんな茂義公は地元の方に今でも尊敬され、近くの箸町河畔公園にも像があります。
地球儀を持っている姿で、佐賀市の駅前まちかど広場にも同じモニュメントがあります。
まちかど広場では佐賀藩主の鍋島直正公や、側近だった古賀穀堂と共に屋外展示されています。
佐賀に来られたらぜひどうぞ。
名称: 武雄市文化会館 たけおしぶんかかいかん
住所: 佐賀県武雄市武雄町大字武雄5538-1
電話: 0954-23-5165
駐車場: 無料駐車場あり
名称: 筈町河畔公園 はずまちかはんこうえん
住所: 佐賀県武雄市武雄町96
駐車場: 付近の有料駐車場を利用
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