今回は福岡から全国に広まったファッション、食べ物などをめぐる発祥の地ツアーです。早速レッツゴー!
日本のカワイイはここから!セーラー服発祥の地
まずやって来たのは、もと九電記念館があった場所です。
この体育館に入る道路脇の電柱3本には「ニッポンセーラー服発祥の地」と記された看板があります。
場所は、旧福岡女学校(福岡女学院の前身)の跡地で、同校は1921年に日本に初めて学校制服としてセーラー服を採用した元祖とされています。
セーラー服のセーラーは水兵のことで、もとは海軍兵士の服という意味。
日本のセーラー服は1921年に、当時のエリザベス・リー校長が「和装より動きやすいものを」と欧米で人気だったマリンルックを参考に、学生服として採用されました。
上下ツーピースやプリーツスカート、リボンのついた洋服など、現在のセーラー服とほぼ同じデザインで、今でもそのまま学生服として使われています。
セーラー服はミッション系スクールから全国に広がっていき、これが日本全国の女学生の服装として定着しました。
制服の代名詞「セーラー服」の出発点は博多から!
福岡にあるユニークな発祥の地モニュメントです。
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日本のうどん・蕎麦発祥の地
次にやって来たのは、博多祇園山笠の発祥としても有名な承天寺です。
境内には金色の文字で「饂飩(うどん)蕎麦(そば)発祥之地」と刻まれた、約3mほどの石碑が建っています。
臨済宗の承天寺を開いた鎌倉時代の高僧、聖一国師(しょういちこくし)は、1241年に修行から帰国した際に、当時の日本にはなかった画期的な製粉技術を中国から持ち帰り、日本ではじめてうどんや蕎麦を作成。
やがて、その食文化が全国に広まっていきました。
ちなみに、饅頭(まんじゅう)や羊羹(ようかん)の作り方も聖一国師が伝えたとされ、鎌倉・室町時代に茶道の発展とともに全国に広がりました。
境内には御饅頭所のカンバンもあります。
今では超メジャーなうどんや蕎麦、甘い饅頭や羊羹など、全ては博多からはじまった!
発祥の地モニュメントが建つ博多の承天寺です。
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あのヤクルトがつくられた発祥の地
最後にやって来たのは、健康飲料としておなじみのヤクルトの発祥の地モニュメントです。
場所は、福岡市地下鉄の唐人町駅の近くにある唐人町西交差点から、川沿いに200mほど進んだ右手側にあります。
善龍寺の墓地北側の自動販売機が並んだ一角に、ぽつんと小さな黒い石碑が建っています。
「ヤクルト事業創業の地」と書かれた石碑の土台の上は、ヤクルトのかわいい小さな容器の形になっています。
今から80年以上前の昭和10年(1935年)に、この場所でヤクルトの創業者によって乳酸菌飲料のヤクルトを製造・販売がスタートしました。
子どもから大人まで人気のヤクルト!みんな大好きなヤクルトが福岡からはじまった事を示すユニークなモニュメントです。
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まとめ
学生のファッション、蕎麦やうどんなどの麺文化、健康飲料のヤクルトなど、どれも福岡からはじまった!
ユニークなモニュメントがある福岡の発祥地シリーズです。
名称:セーラー服発祥の地
住所:福岡市中央区薬院4-14-1 九電記念体育館前
駐車場:無料駐車場あり
名称:饂飩蕎麦発祥之地
住所:福岡市博多区博多駅前1-29-9 承天寺
電話:062-431-3570
駐車場:付近の有料駐車場を利用
名称:ヤクルト発祥の地
住所:福岡市中央区唐人2丁目4-16
駐車場:無料駐車場あり
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