今回は佐賀出身の賢人、副島種臣(そえじまたねおみ)と、彼のゆかりの地をご紹介します。
こちらは佐賀市のメインストリートにある副島種臣の像です。
この像は2018年に行われた明治維新150年の記念イベント「肥前さが幕末維新博覧会」のときに設置された、佐賀を代表する偉人の等身大モニュメントです。
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佐賀の七賢人のひとり、副島種臣
1828年に国学者の、枝吉忠左衛門(えだよしちゅうざえもん)の次男として肥前鍋島藩(現在の佐賀県)に生まれました。
種臣が生まれた佐賀市鬼丸町の屋敷跡は佐賀県福祉施設となっていて、敷地内には「蒼海伯副島種臣誕生地」と刻まれた大きな石碑があります。
兄の枝吉神陽(えだよししんよう)は後に大隈重信、江藤新平、大木喬任、島義勇、久米邦武など、明治維新に大きな影響を与えた人材を多数輩出した義祭同盟(ぎざいどうめい)を創設した人です。
そんな父や兄から尊王攘夷をたたき込まれて育ち、やがて兄の「義祭同盟」にも参加。
藩命により江戸に遊学しながら、諸藩の志士と交流を通じで尊王攘夷運動に参加するなど、討幕論の先駆者となりました。
上の写真は、義祭同盟が行われた楠神社にあるモニュメントです。
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マリア・ルス号事件とは?
中でも副島種臣の名前を一躍有名にしたのは、明治政府で外務大臣をしていた明治5年(1872年)に発生したマリア・ルーズ号事件です。
ペルーの商船マリヤ・ルーズ号がマカオから横浜に入港したとき、清国の人びと200人が奴隷として乗っていました。
そのうちの数名が船から逃亡し、イギリスの船に助けを求めたことをきっかけに、その事実が日本にも知れ渡ります。
副島種臣は人道上の観点から見過ごせないとして職権で船を抑留し、奴隷を解放させました。
この処置に対してドイツ、フランス、ポルトガルの政府は日本政府に抗議し、国際問題に発展。
しかし、日本初となった国際裁判において副島種臣の訴えが認められ、裁判に勝利したのです。
この一件で副島種臣の勇気ある行動は高く評価され、「正義の人」として世界的に知られるようになりました。
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書家としても有名な副島種臣
副島種臣は「蒼海(そうかい)」の名で活動する書家でもありました。
その独創性にあふれる書体は佐賀出身の書聖、中林梧竹とともに近代書の源流と言われています。
佐賀県立博物館で鑑賞できる副島種臣の書は、一字一字に全身全霊がこめられていて、オーラがあるのがわかります。
また、佐賀市与賀町にある与賀神社(よかじんじゃ)には「神降百福」と描かれた木額が掲げられています。
まとめ
副島種臣は正義感が強く、外務大臣として活躍した人です。
その実直さや男気あふれる人柄が多くの人々から愛され、時の明治天皇からも厚い信頼を受けていました。
佐賀市本庄町にある高伝寺(こうでんじ)には、兄・枝吉神陽の遺徳碑と並んで副島種臣のお墓があり、日本に大きな影響をもたらした兄弟を同時にお参りできます。
佐賀に来られた際は、そんな副島種臣の生涯をたどり、ゆかりの地を巡ってみてはいかがでしょうか。
名称: 副島種臣 生誕地 そえじまたねおみ たんじょうち
住所: 佐賀県佐賀市鬼丸町7-7
名称: 高伝寺 こうでんじ
住所: 佐賀県佐賀市本庄町1112-1
電話: 0952-23-6484
時間: 9:00-17:00
駐車場: 無料駐車場あり
高伝寺のページ
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