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人類の進化から見た「旅をする理由」
前回は、人が旅をする目的として、ソフト面の4つの要素(癒し・くつろぎ、学び、遊び、健康)が重要であることを説明しました。
では、なぜ人は「4つのイー」で動くのでしょうか?
結論を言うと、「動くこと」は「人間の本質」だからです。
人類が進化する過程とは?
次に、人類が進化する過程について、四大文明を例に詳しく見ていきましょう。
(第一段階)河川のオアシス:癒し・くつろぎ
ナイル川のエジプト文明、チグリス・ユーフラテス川のメソポタミア文明、インダス川のインダス文明、黄河の黄河文明など、四大文明と呼ばれる世界の主な文明は、すべて河川のほとりに誕生しました。
砂漠のオアシスなど水があるところに人々が定住し、貴重な水は暮らしや農業に使われるだけでなく、物資や人を運ぶ水路にもなりました。
(第二段階)地域のレガシー(遺産):学び・教養
広大な河川では、しばしば発生する川の氾濫によって山からミネラル豊富な土砂が運ばれ、肥沃な大地が形成されました。
その肥沃な大地から作物が収穫できる神の恵みに感謝し、人々の精神的・物理的な支えとして、ピラミッドやスフィンクスなどの地域のレガシー(遺産)がつくられました。
(第三段階)市場(いちば)、繁華街:レジャー、ショッピング
人々が一か所に集まると、ムラや国など、その地域ならではの独自の文化が形づくられました。
経済圏が発達して交易が拡大すると、各都市間でネットワークが確立され、生産物を交換する「市場」が生まれ、ヒト・モノ・情報の交流の場として発展しました。
(第四段階)工芸・特産品:美容・健康
豊かな経済力を背景に高度な文明が発達し、市場の取引を通じて、その土地ならではの農産物や美術品・工芸品をつくる技術が確立しました。
温暖な気候と豊かな水源によって育まれたさまざまな物品や文化が、シルクロードを通じて世界中に伝播し、文化の交流を通じて健康で文化的な生活が営まれるようになりました。
つまり、旅における4つの要素(4つのイー)は人類にとって普遍的なものであり、四大文明を含め、世界の都市はこの4つのプロセスを基に発展してきました。
「日本の観光」の歴史とは?
今までの説明は「人類の進化」という非常にスケールの大きな内容なので、少し難しかったかもしれません。
そこで今度は、より身近な視点から「日本の観光」の歴史について、もう少し詳しく見ていきましょう。
(第一段階)江戸時代:癒し・くつろぎ
江戸時代、人の移動が制限される中、唯一認められていたのが「お伊勢参り」です。
戦乱の世が終わり、安心して遠方への往来ができるようになると、村の人たちはお金を出し合い、数名が代表として地域の平穏(へいおん)や家族の安寧(あんねい)を願って伊勢神宮に参拝しました。
(第二段階)明治時代:学び・教養
明治時代になると、岩倉使節団などの海外視察や留学によって欧米の進んだ文明を学びました。
欧米列強に追いつくことを目標に、政治・経済・科学などさまざまな分野で諸外国の優れた制度を導入し、日本の近代化と産業の発展が進みました。
(第三段階)昭和時代:レジャー・遊び
戦後は経済成長に伴い、所得水準が向上し、余暇の時間が増え、観光の大衆化が進みました。
修学旅行や職場の団体旅行などのほか、スキーや海外旅行など、レジャーとしての旅行も増加しました。
(第四段階)令和から現在:美容・健康
社会・経済の成熟によって、個人の価値観やライフスタイルが多様化しました。
自然が豊かな場所や少人数で行ける近場など、自分らしさを体感できる場所が人気で、本来の旅の楽しみ方へと志向が変化しています。
つまり、これまでの日本の観光の歴史においても、文明の発展や人類の進化と同様に、くつろぎ、学び、遊び、健康の4つの要素が時代ごとに発展してきたことがわかります。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、人類が進化する過程で、
(1)「癒し・くつろぎ」の段階
(2)「学び・教養」の段階
(3)「レジャー・遊び」の段階
(4)「美容・健康」という成熟の段階
各段階を通じて発展するという、おおまかなプロセスを解説しました。
「動くことは人間の本質」
人が移動したり旅行をするのは、人類が進化するパターンと同じで、根底にはこの4つの要素(4つのイー)があるからです。
次に、人が旅をする理由について、私たちの暮らしに置き換えてもう少し詳しく考えてみましょう。(次ページ:人間の成長から見た「旅をする理由」)